山田亨1976年、大阪府生まれ。 一部上場企業からベンチャー企業の各層リーダー、街の経営者を対象として人材育成・リーダーシップ開発を支援。「意識の成長」をガイドする方法論と、人や社会の真の姿に迫る現代哲学の知恵を活かしながら、単なる行動変化に止まらない、不可逆的な「変容」をサポート。 霞が関の農林水産省で約12年間勤務。官邸との政策調整や、沖縄・北海道対策等の政策決定の現場でステークホルダー間の利害調整に長く携わる。 これにより培われた俯瞰力、言語運用能力と生来持つ共感性とのバランスを強みとし、寄り添いながらも、自然な流れでクライアントの意識の枠組の核心へと迫っていく会話は、複雑な現場で志を持って戦うビジネスパーソンから好評をいただいている。 ◆資格等 米国CTI認定 プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ(CPCC) 2014年6月取得 TLC認定プラクティショナー 2014年9月取得 JICCC(企業内コーチコミュニティ) 共同代表 |
専業プロコーチ・インタビューシリーズの背景や意図はコチラの記事を御覧ください。
———-<以下・インタビュー本文>———-
ーーまずはコーチングの仕事の状況を教えてください。
コーチングの売上は全体の80%くらいです。仕事のルートは大きく分けて3つになります。
1つ目は、私と直接契約してくださっている方々へのコーチング。対象は個人の場合もあれば、法人の場合もあり、ご紹介やネット経由のお申し込みなどルートも様々です。
2つ目は、研修会社やコンサルティング会社などのパートナーとして「プロジェクト」に参画し、コーチングを実施するもの。比較的大きな規模の企業の管理職や経営層を対象とする場合が多いです。
3つ目は、自らが主宰するクローズドでの学びのコミュニティ。仕事の次元を変えていくための「高い視点」や「物の見方」の習得を目的としています。抽象度の高い知識の提供とグループコーチング、オプションで1on1のコーチングも提供しながら「抽象思考」を身につけていってもらっています。こちらは現在、一旦クローズしておりますが、形態を変えながらライフワークとして続けたいと思っています。
この3つの収入比率が時期によって大きく変動しますが、だいたい3対5対2ぐらいでしょうか。
ーークライアントにはどういう方が多いですか?
企業にお勤めのビジネスマン。あとは経営者や個人事業主、経営者の二代目といった方々です。
個人で契約してくださっている方は現在5〜6名。個人の方は契約形態や期間にもよりますが、3~5万円/月いただいています。会社からの指示でコーチングを受けられる方は20人~30人前後、時期によって変動します。
ーー「会社からの指示」で受けられる方たちはコーチングにどんな印象をお持ちでしょう。
みなさんお忙しいので、そもそも、何をするのかよく理解されていない方も多いですし、「コーチング」というものに懐疑心を抱いている方も、しばしばいらっしゃいますね。
ただ、こういう方に関わらせてもらうのがなかなか刺激的で楽しいのですよ。
Contents
自己制限的な思考には、その人の人生が詰まっている。
ーーどういったところが楽しいですか?
コーチングの中で、「ありたい姿」や「どうしたい」という「理想や願い」をお聴きしていくのも大事なのですが、それ以上にその方のサボタージュ(※)に注目することで大きな収穫があると考えています。
※河野注:コーアクティブ・コーチング®では、自分の可能性を自らで蓋をするような思考のクセを「サボタージュ」と呼んで客観視することで、その思考に振り回されないようにします。
ーーどういうことでしょう?
組織にいると、コーチングの定番の問である「あなたは何をしたいの?」という思考に至るまでには、やはり少し時間がかかると思っています。自分が担う職責・役割から思考するのが基本ですから、なかなか切り替わりが難しい。
自身の判断の影響の大きさと複雑さが大きいリーダーほど、本来はその職責・役割について、どういうあり方で何を大事にして向き合っていくのか、という点がとても大事になってきます。でも、そこに至るためには「職責・役割」の思考で固まった「フレーム」を一度解体していく必要があります。
そのプロセスが非常にエキサイティングで楽しいのです。
ーーなるほど。そこに注目するようになったきっかけなどあるのですか?
この考え方は、自分の経歴が大きく影響していると思います。私は独立する前、農林水産省で働いていました。コーアクティブ・コーチング®を学んだのはその時です。
応用コース(現在は「コアコース」)まで修了して、人の「モチベーション」や「成長」というものについて、「なるほど、そういうことか!」とすごく腹落ちしたのです。ただ、「これってどうやって人に伝えるんだ?」という疑問も同時に出て来ちゃいましてね…(笑
それをテーマにずっと生きてきました。
ですので、コーチングの道を進む自分の中にある基準は、
「あの時、役所にいた人たちに伝わる自分であるのかどうか。」
「あの頃の自分だったり上司だったりその上の人達に伝わる自分なのか?」
ということなのです。
ーー「伝わる自分」とはどのようなイメージなのでしょう?
どの組織でもそうですが、矛盾としがらみだらけじゃないですか。特に大きな組織はそうだと思うんですね。圧倒的に大きくて強固な組織の構造の中にいると、人はどうしても「自分」という存在の小ささに無力感を感じてしまうし、必要以上に小さくなってしまいます。
そんな中でどうやって人が本当に力を発揮していくのか。
その出口は、それぞれの人の中に様々なかたちで存在する、自分を必要以上に小さくしてしまう「サボタージュ」に向き合って、クリアしていくしかないということなんですよね。ひとつひとつ。
「どうしたいか?」というのを聴いていくときに出てくる「サボタージュ」って、本当にその人の人生そのものが詰まっている。その方の一生懸命生きてきたストーリーそのものが詰まっている。
だから、まずは、その存在を認め、受け止めて、ゆるしていく。さらにはそういう自分自身の存在を愛していくことが必要です。
とは言え、その中でサボタージュばかり聴いていても状況はあまり変わりません。ビジネス場面でのコーチングでしっかり価値を出していくにはしっかり相手の核心に踏み込んでいく強さ、タイミング。これも肝だと思います。
ぶっちゃけ「大切な想いの実現」ってそんなに簡単に成し遂げられるものじゃないですよ。その歩みは本当に苦しいもの。
でも、ひとつひとつ、目の前の仕事に心を込めてお勤めをしてく。それは必ずしも思ったものじゃないものかもしれないけど、それを積み重ねていくことがどういう自分でありたいのかにつながっていく。
湧き出るサボタージュを乗り越えて「あり方」を磨き、自分のテーマをクリアしていく。その過程でまた「想い」がバージョンアップされていく。その繰りかえししか無いんじゃないかな、と思っているんです。
それを経て人って本当に成熟していけると思うんです。
自分自身もその物語を生きて「誰に対しても信念を持ってこのような話を伝えられる自分」、というのが現段階では「あの頃の自分や上司に伝わる自分」だと思っています。
ーー相手の方の「今」や「歩んできた道」をとても大切にされている感じが伝わってきます。
ありがとうございます。こういうところがやっとわかってきたので、多くの人に信頼して使っていただき、今、こうやってコーチングを続けていられるのではないかと思っています。
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農林水産省で評価を受けるも、「玄関を出たくない。」状態に。
ーーそれでは、現在に至る物語をお聞かせください。
先程も言いましたが、大学卒業後、霞が関の農林水産省で官僚として勤めていました。約12年お勤めしました。
どこの組織でもそうだと思うのですが、仕事の報酬って仕事なんですよね。「役に立つ」と評価されてくると、最前線の激戦地に投入されていきます。それはたいへんありがたいことであり、私自身も責任感は強い方ですので「永久労働機関」など茶化されながらも、意気に感じて粉骨砕身頑張っていました。
ただ、あるとき「これは無理だな」と思った瞬間があったんです。たしか9年目くらいだったと思います。
ーー「これは無理だな」とは?
量と質の両方で追い詰められました。
会社でいうと全体を取り仕切る経営企画部みたいなところにいた時のことですが、その頃は不祥事とか、リーマンショック絡みの話もあり、同時多発的にいろんな事が起こっていたんですよ。そういうものの対応を取りまとめるのが「なんでも屋」の経営企画部的な部署の役割ですので、一人でたくさんの「全省マター(多くの部局が絡む仕事で調整が大変)」を抱えるなか、次第にプレッシャーと仕事量で追い詰められていきました。
体にも症状が出て、円形脱毛症が三箇所ほどできましたし、「玄関から出たくない」という気持ちもいやというほど味わいました。
本当に体って動かなくなるものですね。さらには、玄関からは出られたものの、通勤電車でお腹が痛くなってなん度も途中下車する始末。かなり追い詰められていましたね。
こういう状態になって「これは何かサポートがないとどうにもならない。」と思い、コーチングを受けることから始めました。
コーチはインターネットで探しました。聴いてほしかったんだと思います。自分の気持ちを。2009年のことでした。
ーーそこでよく「コーチをつける」という一歩が出ましたね。助けを求められたんですね。
ええ。このままだと何かを失うな、と思ったんです。
命なのか、健康なのか、家族なのか… 何か大切なものを。
それで、コーチをつけて聴いてもらいました。
コーチの問で「自分が何をしたいのか」に向き合い、コーチングを学び始める。
ーーその後、どうなったんですか?
聴いてもらって気持ちは少し楽になったんですが、それだけでは当然現実は変わりません。
そんななかでコーチに
「状況が大変なことはわかります。ただ、あなたがやりたいことは何なのですか?」
「あなたは、物事や状況に反応して喋っているように感じます。それ、本当にわかるんだけど、あなた自身が何をしたいのか、というのが聞えてこないんです。」
と問われたのです。
それで、その時はじめて問いを持ちました。
「自分は本当に何がしたいのか?」と。
この問がきっかけで自分を深めた結果、出て来たのが「人」という概念でした。
やっぱり「人」が立っていて、それぞれの魅力が発揮されていないと組織や社会は面白くない。真の力は発揮されない。
ーーコーチの問がきっかけでしっかり自分と向き合われた。
はい。よく、霞が関って世の中を支配している場所みたいなこといわれますけど、仕事の多くは「利害調整」ですので、実際の現場では他律的要因に振り回され続けます。「私はどうしたい」ということとは縁遠い世界であり、そればかりをやり続けると、そこにいる人の心は乾いてきます。
そうすると語られる話題も「熱く理想を語る」というよりもシニカルでニヒリスティックな「乾いた笑い」が中心になってくる。
今振り返ると、それが寂しかったのだと思います。
自分はもっとウェットで居たかったし、「これ、大事だよね」と理想に向かって仕事がしたかった。少なくとも、理想通りには行かないにしても「理想を持って」仕事がしたかったんですね。
で、「面白くないんだったら、面白くなるように組織に働きかけたらいいじゃないか。」と思って、コーチングを学ぶという次の一歩を出したのです。そして、いろいろ関わっているうちに、人のご縁で「CTI、いいよー。」と勧められて、CTIジャパンで基礎コースから応用コースまで学んだ、というのが今に至る道筋です。
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コーチングの学びを職場に還元。好評を得る。
ーーコーチングを学び始めた後、どうされたんですか?
2010年あたりから「職場でコーチングを広めてみよう。」と思って、省内でコーチングの勉強会をしたり、「ワールドカフェ(※)をしましょう。」と提案して、実際にいろんな職場でやらせてもらいました。
※河野注:会議のディスカッションの一形式で、大勢でも一人ひとりが比較的自由に発言しやすいという特徴があります。
ーー省内での手応えはいかがでしたか?
とてもよかったですね。勉強会の評判も良かったですし、特に一番印象的だったのは、ワールドカフェをやったときの参加者の感想。
「こんなふうに自分の思いや気持ちを話してもいいんだ」という感想や、特定の部門で実施した時には「やっぱりみんな「この領域」のことが好きなんだね」という、お互いの共通点を見出す声が出たり。
「やっぱり求めている人はいるんだなぁ」というのが率直な印象でした。
こんな感じでまずは役所の中でいろいろ活動しました。
ーー役所内で新しい取り組み、というのは大変ではなかったでしょうか?
特に大変だったという印象はないです。必死だったんでしょうね。「人生、自分でひらいていかないと。」というスイッチが入ったんだと思います。
ーーその後はどうなっていったんですか?
当時やっていた仕事は忙しさに波のある仕事だったので、時間のある時に合間合間に勉強会などをやっていたのですが、2011年に異動になり担当が代りました。
業界を一つ担当するようになり、省内でのポジションもあがり、マネージャー的な立場でより責任をもって仕事をしていくことになりました。
カテゴリーをまたいで比較的自由に動けた前の仕事から、担当と責任を持ち、自分の仕事に専念していく、そんな流れになったんです。それにともなって自分の「コーチングを広める」という活動は下火になっていきました。
独立・起業は「逃げた」と言われても心が動じない状態まで待つ。
ーーお仕事に集中されていく中で、どのようなキッカケで独立されたんですか?
それなりには評価をされていましたし、自分でもそこそこ仕事はできると思うんです。
ただ、「心の底から熱意をもってやれているか?」「自分の身を捧げてまでやりたいことか?」と思うと、本心から「yes」とは言えない。
それだったら「自分がもっと熱を持ってやれること。自分の創造性が如何なく発揮されることに自分の命を使っていけば良いのではないか。」と思ったんです。
ただ、この考え方って、ある側面から見ると「どこまでいっても逃げ」だと思うのです。自分が他人を見る時にはそう思いますから。そのことを自分で消化するのに4年かかりました。
お世話になった課長に「退職したい」と伝えた時にも、
「辞める覚悟があるんだったら、何でも出来るんじゃないの?」
「「これができなかったら辞めます」くらい言って、組織の中でやりたいことをやっていけばいいじゃない。」
って言われたんです。
これは本当にごもっともだと思います。
でも一方で組織に対して辞める覚悟で訴え、自分の発言に責任を負って物事を進めるほどの熱意のない自分。そこには負い目はありました。
ですので、そこに「負い目」があるうちは辞めないでおこうと思いました。一生懸命仕事をしながら、自分のサボタージュと向き合いながら、そして、自分の心を感じながら、
「それ、逃げだよね。」と言われたときに、「ある一面ではそうです。そしてある一面では私は「選択」をしたとも言えます。」という気持ちでストレートに受け取れるかどうか。
心が静かになったときが辞めるときだと思っていました。
そのためにしっかり仕事をし続けました。そして、いろいろ整理がつき無事退職できたのが2013年の9月でした。
一緒に働いていた先輩からは「そういう思いを持ちながら、仕事には一切手を抜いてなかったよね。大したものだと思うよ」という言葉をいただきました。本当に嬉しかったし涙が出そうになりましたね。
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肩書が全く意味をなさない世界に直面。奥さんから最後通牒。
ーー辞めてどうされたんですか?
まずは資格取得のためにCTIジャパンの上級コースを受講しました。もともと上級コースは退職して時間を作ってからトライしようと思っていました。
コーチング自体は色んな所で深めていてある程度のコーチングはできるなと思っていたので、CTIの上級コースはゆっくりやろうと思っていましたので。
とは言え、行ってみると上級コースでは沢山の貴重な学びがたくさんありました。
そして、2014年6月にコーチの資格であるCPCC(Certified Professional Co-Active Coach)を取得しました。
コーアクティブ・コーチング®の上級コースは時間とエネルギーと投資額はかかりますが、本当におすすめですね。コーチとしても大きくバージョンアップできたと思います。
ーー上級コース中はどのようにクライアントを獲得されたのですか?
省内にいるときに、外部の活動でいろいろなことをやっていましたので、その時のコネクションを活用しました。具体的には現在、私が代表を務めているNPO法人の企業内コーチコミュニティ(JICCC)や、コーチ・トゥエンティワン(現在は「コーチ・エィ」)のプログラム卒業生の非公式の集まりの幹事をやったりしていたときのコネクションです。
そのご縁の中で「今度CTIジャパンの上級コースを受けるのでクライアントを募集しています。」と言うと、クライアントになってくださる方、結構いました。
ーー最初の料金はどれくらいでしたか?
最初は月2回コーチングを提供して5千円/月で3ヶ月やって、その後さらに継続して貰える場合は月2万円、という条件でやっていました。5千円はトライアル価格というイメージですね。
ーーCPCC取得後はどんな状況だったんでしょう。
いやいや、苦労しましたね(笑
僕はとりわけ営業力は無いし、法人へのコネクションがあるわけでも無いので、インターネットを活用した「引き」の集客を指向していくわけです。
ーーインターネットでの集客を意図されたんですね。
はい。ずーっとやっていましたね。ブログを中心にいろんなことをずっと書いていました。
当然、オンラインでの集客についての色んな勉強をしましたし、マーケティングの学習は通り一遍のことはやったと思います。
しかしまぁ、そこでの反応の無さといったら(苦笑)。
今から思えば当たり前の話なのですが、例えば、僕が官僚出身とか、誰も興味が無いんですよね。興味が無いというと語弊がありますが、「官僚出身だから仕事を依頼しよう。」ということにはなりません。
それを痛いほど学びましたね。
プロフィールに「官僚出身」と出しても、それは自分の過去しか説明していないということになります。でも、お客さんにとっては「あなた今、私に何をしてくれるの?」「私の悩みにどう答えてくれるの?」ということの方がはるかに大事なんです。
余談ですが、今の僕にとっては「官僚出身」というのは意味を持ってくると思っています。なぜなら、僕という人間の世界観ができているから。
上にも少し述べましたが「自分がこういう視点でこういうコーチングができるから価値があるのです」という世界観というかUSP※が出来上がっていると、それを補強する背景情報、「なぜそういう視点を持っているのか」を説明する材料として「官僚出身」というのはとても大きなインパクトを持って来ます。
※河野注:Unique Selling Propositionの略。マーケティング用語で、「他にはない独自の売りや提案」のこと。
見向きもされない中でも、家族を養っていかないといけないので、ご縁でいただいたコーチング以外の仕事、たとえば現場研修のファシリテーターなどをさせてもらったりもしたのですが、それでも貯金残高は右肩下がり。
本当にお金が減るのは早いです・・・。
ーーどんなお気持ちでしたか?
日々、呼吸が浅いというか、不安が日常ですので、不安という気持ちがどういうものかわからなくなるぐらい不安でしたね。
完全に「意識」は下がってしまっていたと思います。
そんな中、奥さんから最後通牒を突きつけられました。
「あと数ヶ月で貯金が無くなります。」と。
おぼろげには感じていましたが、実際に言われてみるとこれほど辛いものはありません。
が、そこで目が覚めた部分もあります。「なんとかなる。」という甘い観測を脱がざるを得なかった。
ありがたいことです。
その頃、ちょうど同じタイミングで2つのブレイクスルーがあり、状況が大きく変わったんです。
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