半農半コーチ 森山 裕二1960年 京都生まれ。 同志社大学卒業後、京都ホテル(現京都ホテルオークラ)において営業マンとして約9年間勤務。人材研修会社トレーナーを経て、関西を事業拠点とする総合学習塾、成基コミュニティグループで人材教育研修、採用の統括責任者を務める。2001年同社の分社に伴い、株式会社キッズランド代表取締役に就任。その後もグループ内の取締役を兼任し、マネジメントに携わる。2006年、4月独立。 プロのコーアクティブ・コーチであるとともに、今は現場を離れているが、スキーのプロコーチというユニークな経歴の持ち主でもある。目指しているライフスタイルは「半農半コーチ」 ◆資格 米国CTI認定 プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ(CPCC) 2006年取得 国際コーチ連盟認定プロフェッショナルコーチ(PCC)2014年取得 |
専業プロコーチ・インタビューシリーズの背景や意図はコチラの記事を御覧ください。
———-<以下・インタビュー本文>———-
ーー今のコーチングの仕事の状況をお教えください。
多少のばらつきはありますが、クライアントさんは大体20人前後です。経営者の方、組織のリーダーの方が多いですね。
変わったところでいうと、政治家の方なども過去にいらっしゃいました。
ーー政治家ですか。
はい、ひょんなきっかけで不思議なご縁をいただきました。自分にとっても挑戦でしたね。結局、7年くらい伴走させてもらいました。
ーー7年というと、かなり長い印象があります。
他の方も「何年」という長い期間、契約してくださるクライアントさんが多いです。自分の気持としても「君はもうええよ。」と言われるまで伴走していたいので、今の状況はありがたいです。
個人の方やと、時間単価2万円を基本にいただいています。対面やお電話といった形態や頻度にもよりますが、経営者の方やと10万円/月いただいている方もいらっしゃいます。
法人契約もさせてもらっていて、その会社の複数の方にコーチングをさせてもらっている会社もあれば、社長一人を担当させてもらっている場合もあります。だいたい法人3割、個人7割、くらいでしょうか。
コーチング以外は、企業研修を少しやらせてもらっていますが、収入の8割がコーチングですね。
あとは農業やってます。なにせ半農半コーチですから。
Contents
コーチは、自分そのものが商品。「半農半コーチ」というアンデンティティ。
ーー農業をされているんですね。
そうなんですよ。ここはこだわりがあってね。
そもそも、「自分自身がコーチとして活き活き生きてますか?」という問いが自分に対してあるんです。
昔先輩から、
「コーチングを売ったらあかん。お前を売れよ。」
と言われました。
「俺を売る?どういうことや?」
と考えました。
で、自分を売る、ということは自分がほんまに好きなことやって活き活き生きてないと売れへんな、と思ったんです。「この人のコーチング、どんなんやろう。」より「どんな人間なんやろう。」という興味から入る方も多いと思うんです。
そういう意味で、コーチとしてのクオリティが大事なのは言うまでもないですが、コーチ自身がやりたいことやったり、何かに挑戦して活き活きしてる、というのが大事やと思うんです。
で、やりたいと思った半分コーチ、半分農業という生き方にチャレンジし続けてるんです。
あ、ちなみに収入としては冒頭言ったように、ほとんどコーチングですよ(笑
ただ、アイデンティティとしてはそれくらい農業を大切に思っている、という想いを込めて、「半農半コーチ」という肩書が似合うように頑張ってます。
ーー農業の醍醐味はなんですか?
自然の中に身を置く、ということがまず最高です。
もう一つは、上手く行かない事が一杯あること(笑
種まいたのに、芽が出ない。
最初は、「俺、ちゃんと種まいたやん。なんで芽が出ないの?」でしたね。
あとは5年も6年もやってると、猿に襲撃されたり、冬場に畑を耕してたら鹿があらわれて威嚇されたり(笑
もう、この「うまくいかない。」のが最高ですね。
人間もコントロールできないじゃないですか。
上手く行かない事をまず許容する事。そうすると「ここから創って行くしかないやん。」にたどり着けました。
さらに、これくらい自然の中にいると、感性が研ぎ澄まされる感じもあるんですよね。
見えないものが見えて、聴こえないものが聴こえるというか、直感が冴えるというか。そういう感じがしてます。
ーーコーチングにも好影響が出てきてるんですね。
もともとそれを意図したわけではないのですが、やってみたら影響があった、という感じです。
他にも、クライアントさんが一つの材料にしてくれてはるようになりました。「そんなことやってるんですか。」という面白味を僕に感じてくださったり。
ぶっちゃけ、この土と触れる時間を減らしたら、コーチングのクライアントさんをもっと増やせるかもしれないんですが、自分にとってこの時間は欠かせないもの。そしてこういう時間を持っているときのほうが豊かやし、人と向き合うときに、よりどっしり向き合える。
自分が望ましい経済活動の量を見極める。
ここ、すごい大事なことやと思ってます。こういう生き方をし始めるようになってからのほうが、コーチングを紹介していただくことが増えてきたように思います。
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両親の介護がきっかけでサラリーマンを辞めることに。
ーーでは、そんな現在までの経緯をお聴かせください。
僕はそんなに華々しくコーチで独立したというわけではないんです。
ちょうど両親の介護もあって、サラリーマンしてるのがしんどくなってきて、「何かをストップせんとあかん。」となったときにサラリーマンをストップしたんです。
11年前、2006年の3月に会社を辞めてます。
ーー辞めてからどうされたんですか?
もといた会社ともええ関係を続けさせてもらったので、人事の教育のお手伝いや研修をさせてもらったり、違う会社の採用のお手伝いをさせてもらう、というのがスタートでした。具体的には、研修講師や人事採用のアドバイザーでした。
コーチがスタートではなく、介護のために在宅で何かできることをやらせてもらっていたのです。
ただ、そういう人事関係の仕事をもともとやっていたのもあって、コーチングのことは早くから知っていましたし、実際にコーチもつけていました。
さらに自分もコーチをする側として学び始めていました。
そんな経緯でコーチングの魅力を知っていたので、1対1のコーチングも仕事で出来たらええなと思ってました。が、自信もなかったですし、お客さんもいなくて仕事としては成立していませんでした。
当時は扱い商品のひとつとしてラインナップだけはしとこう、くらいの感じでした(笑
ただ、あることをきっかけに、会社を辞めた2006年の5月の連休にCTIジャパンの基礎コースを受けたんです。
ーー「あること」とは、何ですか?
当時の自分のコーチから、「会社を辞めるんやったら、CTIジャパンの応用コースまでは受けたらええよ。」とアドバイスをもらったんです。
この言葉が無かったら、コーチングの世界に本格的に足は踏み入れなかったかもしれませんね。
ーーCTIジャパンの基礎コースに参加して、いかがでしたか?
誤解を恐れず言うと、衝撃だったのは「CTIのコーチングには型がない。」ということ。
コーチングはすでに勉強していたつもりでしたから、そこそこ出来ると思ってたのに全然できませんでした(笑
で、「自分下手くそやな。」と思ったんです。
それで火がついた、というのもありますね。
そのあたりから「自分もコーチをやりたい。」と思う気持ちに本格的にエンジンがかかりだしました。
コーチングに一生懸命に。さらにご家族の言葉で意識が変わる。
ーー「下手くそ」で火がつくんですね。
そうなんですよ(笑
火がついたのでそのままCTIジャパンの上級コースへ。ほんまに一生懸命やり始めたのは上級コースに進んでからです。上級コースの最初の頃のクライアントさんからは一回、5千円いただいてました。
ーーその方たちとはどうやってご縁をもったのですか?
会社を辞めたときに、自分がご縁がある人達にご挨拶状を出したんです。「独立して研修講師、人事のお手伝い、コーチをやっていきます。」という内容で。
先ほども言いましたが、この頃クライアントさんは一人もいませんでしたが、「コーチをやっていきます。」ということは取扱商品としてとりあえず挙げていたんです。
すると、別の機会にお会いしただけで向こうから「コーチングの仕事、うまいこといってんの?」と聴いてくださる。そこからクライアントになってくださったり。それと、当時働いてた部下の人たちとか知り合いに声をかけていきました。
ーーとりあえず表明した「コーチやります。」でご縁ができたんですね。
そうです。
このご挨拶状にはエピソードがあってね。
当時僕は「会社を辞める。」って言うてたんですよ。しんどくて、親の介護のために辞めんとあかんかったから、後ろ向きな気持ちや会社に申し訳ない気持ちがあったのかもしれません。
でもうちの奥さんに
「辞める、という言い方はやめよう。独立する。って言おうよ。」
と言われたんです。
「ああ、ほんまそうやな。」
と思ったんです。
なのでさっき言ったご挨拶状は「独立する。」という意識になったからこそやろうと思ったことで、それがきっかけでクライアントさんとのご縁がたくさん出来た。奥さんにはいまだに感謝してますね。
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プロコーチの先輩たちとの出会いがさらに意識を変える。
ーーコーチとしての仕事はその後、どうなっていったんですか?
実は上級コースに行っていたころ、自分にとってありがたいご縁がありまして。
僕がラッキーだったのは、当時株式会社コーチング・ラボ・ウエストという会社が京都にあって、そこの人たちとご縁をいただいたこと。
※河野注:今は株式会社ウェルビーイング・ジャパンと社名変更されて活動されています。
2006年ころだったと思うのですが、コーチング自体まだマイナーやったころに、コーチとして喰ってはる人がゴロゴロいたんですよ、そこには。
なので、
「コーチって喰えるんや。」
と思いました。
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