シン・リーダーコーチング 本郷真也1962年、京都生まれ。 サラリーマンの傍ら子供にバレーボール指導を続けること20年。 現役選手時代に厳しいだけでは勝てないことを実感しつつも、 指導者駆け出しのころは「やる気のない奴は帰れ!」を連発。 模索状態の中からコーチングに出会い試行錯誤の末、資格取得。 子供の主体性を引き出す独自の手法は、選手や保護者から大絶賛、 今では主宰するバレー教室に100人を超える子供達が行列を作る。 ユニークで愛情溢れるコーチングは、子供の指導だけに留まらず、 口コミで経営者にも評価を得る。 世の中のリーダーがイキイキと 輝くことが日本の未来を作るという志を抱き、2012年2月、 シン・リーダーコーチングを設立し、独立起業。 ◆資格等 米国CTI認定 プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ(CPCC) 2012年取得 日本青少年育成協会認定教育コーチ 2013年取得 CRR Global認定 Organization & Relationship Systems Certified Coach 2014年取得 TLC認定プラクティショナー 2017年取得 |
専業プロコーチ・インタビューシリーズの背景や意図はコチラの記事を御覧ください。
———-<以下・インタビュー本文>———-
ーーまずはコーチングの仕事の状況を教えてください。
主なクライアントさんは企業との契約で、今は15社くらいと契約させてもらっています。
会社の規模で言うと年商800億円の会社から年商1~2億円くらいの会社まで様々です。
社長さんだけコーチングをさせてもらっている会社もあるし、従業員全員にコーチングさせてもらっている会社もあります。会社によってはシステムコーチング※も提供していて、それは現在5グループです。
※河野注:システムコーチングとは複数の人間(チーム・グループ)に対して行うコーチングです。詳しくは以下のサイトを御覧ください。
システムコーチングのスクール:CRR Japanのウェブサイト
あとは、企業とは関係なく個人契約でコーチングを受けてくださっているクライアントさんもいて、そちらが今は5人前後です。
状況によって違う部分もありますが、コーチングは1時間1万5千円~2万円の間で提供させてもらっていて、トータルすると月に50人くらいコーチングさせてもらっています。
ーーどんな方がクライアントに多いですか?
やっぱり経営者の方が多いです。あとは中間管理職、マネージャーの方も。
今住んでいる家、不思議なご縁である方から「借りてくれ」と言われてえらい立派な家をお借りしてるんですが、そこで「お座敷コーチング」って言って、僕がお茶立てて、お茶を飲みながら庭を見ながらコーチングしたり、経営者のみなさんにセミナーなんかもしています。
ただ、セミナーは頼まれたらしてるくらいで、収入の9割はコーチングとシステムコーチングですね。
Contents
昔は「やる気の無いやつは帰れ!」の熱血漢。
ーーでは、そんな現在に至る物語をお聴かせください。
僕はサラリーマンの頃は技術職で、研究開発畑でずっとやってきたんですが、若いころからバレーボールもやっていました。
それで、サラリーマンもしながら子どもたちにバレーを教えていたんです。
今も教えていて、もう20年以上になります。
参考:本郷さんのバレー教室のwebサイト:気づいて築くバレーボール
現役選手時代に厳しい指導だけでは勝てないことは肌でわかっていたんですが、指導者になったころは「やる気のない奴は帰れ!」を連発してました。
そりゃ、子どもたちはやる気が出ないし、結果も出ませんよね。
それで、
「怒る以外のアプローチは無いものか。」
「指導者として、育成する人間としてどういうあり方が大事なんやろう。」
と悩んでいたときに、自分の嫁さんがCTIジャパンの元トレーナー後藤亮子さんとご縁があって、コーチングの話を聴いたんです。
「面白そうやな」と思って、すぐにCTIジャパンの基礎コースに行きました。
ーーいつ頃のことでしょう?
40歳くらいのころなので、10年以上前ですね。
基礎コースで学んでみて、「これは面白い。使える。」と思って応用コースまで全部行きました。
その後、バレーボールの現場でいわゆる本格的な1対1のコーチングはしませんでしたが、「その子の可能性をみる」であったり、「しっかり気持ちを聴く」といったコーチング的な関わりをずっと大事にしてきました。
バレーボールの現場でこの関わりはすごく役に立ちました。
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職場での突然の試練。心労で鬱の直前に。
ーー会社ではどのような道を歩まれたんですか?
40代中頃に管理職になったあと、子会社に出向になったんです。
そのポジションはすごくしんどい立場で、客先や上司・部下といった人間関係のなかでいろいろあってほんまに苦しい状況になりまして。
この時が人生で一番つらかった。
ストレスから頭に出来物がいっぱい出来て、みんなが敵に見えました。鬱の手前までいったんじゃないかと自分では思ってます。
ーーその状況でどうされたんですか?
嫁さんが産業カウンセラーなんです。
「会社にカウンセラーとかいるでしょ?」
と言われて、会社の保健室みたいなところにいって話を聴いてもらいました。
カウンセラーの先生から、
「本郷さんみたいな人がいるから、会社はまわってるんですよ。」
と言うてもらって、めちゃくちゃホッとした。
その一言に救われましたね。
僕はそういった周りのサポートもあり、担当していた事業自体が撤退することになって、もとの会社にもどったんですが、
僕がいなくなった後、部下だった人間が仕事のストレスと過労で身体をほんまに壊してしまった。
それくらいしんどい現場やったんですね。
ーーそれは、、、良く生きのびられましたね。
お陰様です。
自分のしんどかった経験や部下のこと。ここでの経験が今、企業にコーチングを届けている原動力になっています。
今の時代、企業で働くのってほんまに大変やから。
特に中間管理職の人は大変。数字が全てやし、上からも下からも言われるし。
そういう人が職場では言えへん本音を吐き出して気持ちが楽になって、リーダーシップを発揮していけるようになっていくこと。それを願ってコーチングをしています。
「今年はいっとこか。」でコーチングのプロ資格取得コースへ。
ーーその後、どうされたんですか?
もとの会社に戻ったんですが、そんな経緯もあってなかなか仕事に全力で打ち込む、という気持ちにはなりづらい状況が続きました。
そんななか、僕は毎年、年初に志を立てているんですが48歳のときに「今年は何しよう。」って思ったときにCTIジャパンの上級コースを受けよう、と思ったんです。
コーチングの学びは応用コースで終わっていて、上級コースを受けていなかったので、自分にとっては積み残しな感じもしたので「今年はいっとこか」と。
ーー独立や起業は意識されていたんですか?
いえ全然。その時は独立や起業なんて考えてもいませんでした。
「なんとなく今年はいっとこか。」でしたね(笑
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50歳を直前に起業するか悩み、出会った2つのご縁。
上級コースは面白かったし、ほんまに頑張りましたね。そして、無事にプロコーチの資格であるCPCC(Certified Professional Co-Active Coach)も取得しました。
そのあと、50歳が近づいてきたタイミングで
「このまま管理職で定年までいくのか。」
「50歳で会社を辞めて自分の人生を生きるのか。」
と真剣に考えだしたんです。
ただ、僕は小さい頃に裕福じゃなかった、というのもあってお金に対する不安がものすごくあったんです。
サラリーマンは安定したお給料をもらえる、という魅力はありますよね。
ほんまに迷っていたときに、2つの出逢いが僕の背中を押してくれたんです。
ーーどのような出逢いだったんですか?
一つ目は49歳の夏くらいだったと思います。
倫理法人会の朝会で皆さんの前で話をしたことがあったんですが、そこで話を聴いてくれはった京都で結構有名な企業の社長さん、僕を気に入ってくれはったんです。
で、「会社に来てください」と言われて、会社に行って社員の皆さんに話をして、社長と一回飲みに行ったんです。
そこで「会社を続けるか迷っている。」という話をしたら、
「本郷さん。あんたみたいな人は、独立してもっとぎょうさんの人応援せんとあかんで。応援したるから。」
って言われたんです。
すごい嬉しかったですね。
私の屋号、シン・リーダーコーチングという名前もその人がつけてくれはったものです。今も応援してもらっています。
ーーそんな方からの応援は心強いですね。
二つ目は、同じ年の11月にとあるセミナーに参加したんですが、そこで既に関西でコーチングで企業さん相手にすごい活躍してはる方と出会ったんです。
その方も脱サラしてはって、僕らの大先輩ですわ。
その方にも同じ悩みを話したら、
「本郷さんやったら絶対だいじょうぶやで。独立しても絶対やっていける。今の会社、辞めたらええやん。」
と言うてくれはった。
その人はほんまに応援してくれはって、僕が辞めた後、企業に持っていくときの企画書から提案書まで全部くれはった。
ーーすごいですね、それは。
「こんなんもろたら、あきませんわ。お金払わせてください。」
って言うたら、
「そんなん、ええ。本郷さんが活躍するようになったら、次頑張ってる人にあげて。」
って言われたんです。
そんな寛大な方にお会いして応援してもらってほんまにありがたいです。
ーーご縁ですね。
二人の素晴らしい方に背中を押してもらって、いよいよ辞める決心ついたんです。
それで50歳で年こえたら会社を辞めようと思って、50歳になった年の1月に会社を辞めました。
辞めてはみたものの、不安で不安でしょうがなかった。
ーー会社を辞められるときはどんなお気持ちでしたか?
不安で不安でしょうがなかったですね。
お客さんのあてもなかったし、その時でクライアントさん10人くらいです。
辞めて最初の月、当時の収入で月7万円くらいですよ。
「これ、ほんまにどうしようかな。」と思ってましたね。
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